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労働情報連載エッセイ⑯:労働者と服装

 労働情報連載エッセイ「若者が変える 若者と変える」の第16弾の紹介です。

労働者と服装

 本誌868号で報告したネクタイを巡る攻防ですが、今年8月初旬に会社は「ネクタイ不着用」を理由として、私に対し始末書の提出を求める懲戒処分をしました。この原稿を執筆している時点で懲戒処分はこの1回だけですが、ネクタイに並外れた執着心を持つ社長なので、今後も懲戒処分を濫発してくることでしょう。ネクタイではなく、兜の緒を締めて闘いに臨まねばなりません。

 さて、私はカッターシャツにスラックスそして革靴という服装で勤務していましたが、今夏の暑さは厳しく、ネクタイを外しただけではとても耐えられませんでした。「服装は足元から」といいますので、就業規則に「履物は靴に限る」とあるのを確認した上で、私はスニーカーを履いて出勤しました(革靴よりはるかに快適です。)。すると、社長は「履物は会社が認めた履物に限る」と就業規則を変更し(労働者過半数代表の意見聴取はせず)、併せて「会社が認めた履物とはビジネスシューズであって、スポーツシューズではない」との社内通達を出しました。私はこれにめげず、今度はポロシャツにチノパンそしてスニーカーという「スーパークールビズ」で出勤しました(本当に快適です。)。この服装に対して総務課長から注意されましたが、私は「カッターシャツの洗濯とアイロンが間に合わない。カッターシャツを買い増しして欲しかったら、賃金上げろ」と抗議。すると総務課長は黙ってしまいました。

 前に述べましたが、私は工業用ミシンの輸出商社で働いています。アパレル業界に関わる者として、ファッションにはこだわりが必要です。スーパークールビズばかりではマンネリなので趣向を変え、スラックスに革靴、上はキューバの伝統的シャツであるグアヤベラ を着て出勤しました(さすが南国キューバのシャツ、大阪の暑い夏でも快適です。)。足元は社長がネクタイの次に執着する「ビジネスシューズ=革靴」で、上半身はキューバの正装であるグアヤベラです。「ビジネスシューズに正装という隙の無いフォーマルな装い」に社長も満足したのか、この服装に文句は出ていません。革命キューバの力は偉大です。

 労働者の服装については、「労働者は、一市民としては、服装、ヘアスタイル・ヘアカラー、ひげ等について基本的に自由である(自己決定権)」とされています(西谷敏「労働法」 190頁)。極めて当たり前のことを分かりやすい言葉で表現してくれた、西谷説に大賛成です。

 しかし、社長は、「服装の自由」や「労働者の自己決定権」など頭になく、相変わらず「俺の会社なんだから、俺の好きな様にできる。それが嫌なら辞めろ」という考えなのでしょう。分からず屋に対しては、毅然と抗議の声を上げるのはもちろん、時にはその偏屈ぶりを笑い飛ばすような運動も必要です。私は、「次は沖縄のかりゆしシャツを着ていこうかな」などと考えつつ、楽しく闘争しています。

【注】グアヤベラ(Guayabera):前身頃にポケットを4つ配し、刺繍を施した開襟シャツ。本文中にあるとおり、キューバでは正装として扱われる。

2013年7月1日発行 労働情報871号掲載

友延秀雄(とものぶ ひでお)
ゼネラルユニオン書記次長。大阪全労協青年部長。
学生時代は大学を休学し、キューバでスペイン語を学び、南北アメリカ大陸をオートバイで縦断。中南米諸国の絶望的な貧富の格差と、医療と教育が無料のキューバを目の当たりにし、社会変革の重要性を実感。

労働情報連載エッセイ⑮:「不義理な人」は「不義理にされてきた人」

労働情報連載エッセイ「若者が変える 若者と変える」の第15弾の紹介です。


「不義理な人」は「不義理にされてきた人」

 「あんなに助けたのに…。」
電話で労働相談が持ち込まれ、じっくり話を聞いた上で、会社に団交申し入れ。四苦八苦し団交に持ち込み、解決金取って、やった~! と思っていたら…。メール一本で
「じゃあ、やめます。」

 多かれ少なかれ、こんな駆け込み相談に悩まされている組合は、多いはず。解決すると、さっさと去ってしまう人たちことを、往々にして「不義理なやつ」で済まし、組合内で愚痴って終わり。組合費をカンパのように末永く払い続けてくれる義理堅い人も、組合には顔を出さず。これが私たち「良識ある組合」の実態ではないだろうか。
しかし、この「不義理なやつ」は、本当に不義理なのでしょうか。

 安い賃金で、ボーナスはおろか残業代も出ず、有期の細切れ雇用。それでも、懸命にまじめに働いていたら、ある日突然「明日から来なくていいから。」で使い捨て。一人の労働者として、一人の人間として大切にされず、社会から不義理ばかりされてきた人たちが駆け込みで組合に相談しに来たわけです。これまで自分がされてきたように、用が済んだら、さようなら…。当然なのかもしれません。「不義理な人」は裏を返せば「不義理されてきた人」ではないか。それを、「不義理」と思っているのは私たち組合だけで、組合の独りよがりなのかもしれません。

 私たちは、そんな「不義理されてきた人たち」と、どうやってつながっていくべきなのでしょうか。

 組合を必要として、組合にやってきた人。あなたが組合を必要として組合に来たように、組合はあなたを必要としていると、私たち組合が伝えることが必要です。なぜなら、自分が必要とされない場所に人が止まるはずないからです。あなたこそが必要だと、組合は心の底から伝えられているでしょうか。人は、自分が必要とされている場所で力を発揮できるし、そして、安心できるのだと思います。それができなければ、組合は一見さんオンパレード、いつまでたっても駆け込み相談にかかわる問題は解決されないでしょう。

 私自身駆け込み加入です。そんな私が、課題が解決した今も組合活動を続けているのにはいくつか理由があって、免職(解雇)になり、解雇撤回を闘うと決めたその日に、私は組合事務所こんなふうに聞かれました。
「井澤さんは、何が得意なのかなぁ?」

 組合はあなたを必要としている、というこのメッセージは、私が組合に大きな信頼を寄せるきっかけとなりました。

 組合は、請負機関ではありません。駆け込みから連帯へ。組合が互いに繋がり、本当の意味で、みながみなのために闘う場所になるために。駆け込み相談に明け暮れる私たち組合に、今何が足りないのか、何が必要なのか、いま一度振り返ることが必要ではないでしょうか。自戒を込めて。

2013年8月15日&9月1日合併号 労働情報869・870号


井澤絵梨子(いざわえりこ)
大阪市立小学校教員 大阪教育合同労働組合書記長
新任1年目で免職(解雇)となるが、5年にわたる解雇撤回闘争に勝利、復職4年目を迎える。

労働情報連載エッセイ⑭:ネクタイなしで懲戒処分!?

 労働情報連載エッセイ「若者が変える 若者と変える」の第14弾の紹介です。

ネクタイ無しで懲戒処分!?

 私は工業用ミシンを専門で輸出する小さな商社に入社した。ここの社長は「俺のやり方に従えない奴は会社に居なくていい」と平気でいうような輩だった。自分の価値観を労働者へ押し付けるのも日常茶飯事で、「商社マンたるもの、いつ何時もネクタイを締めるべし」との意味不明な理由で、男性労働者に蒸し暑い真夏でもネクタイ着用を強制していた。私は、首周りの不快感を我慢しながら、他の労働者と同じく夏場でもネクタイを着用した。
入社から1年半が経過したとき、私は「社員旅行に行かないから」との理由で解雇された。こんな理由で解雇できるはずがなく、裁判所は当然「解雇無効」の判決を下した。その後紆余曲折を経て、2011年6月に私は会社へ復職した。

 「冷房温度を上げて、節電に努めよう」と呼び掛けられていたこともあり、私はネクタイ無しで出勤した。これが社長の癇に障ったのだろう、彼はすぐさま「男性社員にネクタイ着用を義務付ける」との社内通達を出した(それまで明文規定なし)。そして、私に対しては「ネクタイ不着用は就業規則違反だ」(社内通達とやらは就業規則か?)と言いがかりをつけ、始末書の提出を命じる懲戒処分を乱発した。それでも私はネクタイ無しで出勤し続けた。すると、社長は私に対し減給処分を強行した。私は2011年11月からネクタイを着用し、2012年6月からは組合の在籍専従となり会社を休職したので、ネクタイをめぐる争いは一端休止となった。

 この社長がネクタイ着用に異常な執着心を燃やす理由はなんだろう。私は次のとおり考える。つまり、社長は自社の労働者を自分の手下か家来と勘違いしており、服従の証としてどれだけ理不尽な命令(この場合は、「夏場でのネクタイ着用」)であっても従うことを強いるのだと。だからこそ、彼はネクタイを着用しない私(=社長に服従しない労働者)という存在が許せず、「ネクタイ不着用」を理由に懲戒処分を乱発したのであった。

 この社長のように「労働者の人格を平気で踏みにじり、絶対服従を強いる。従わない労働者には懲戒処分を乱発する」という輩は、残念ながら巷に蔓延っている(典型例:橋下大阪市長)。「こんな悪しき風潮を打破するためにも、私は職場で『ネクタイ不着用の自由』を確立させねばならない」と勝手に思い込み、「夏場は絶対ネクタイしないぞ!」と決意を固めたのであった。

 私は組合の専従をおり、2013年6月から職場へ復帰した。もちろんネクタイはしていない。社長は私へ「ネクタイ不着用を続けるなら、懲戒処分する」と早速警告してきた。また、社内の冷房温度を21度に設定し、「ネクタイをしても快適な社内環境だから、ネクタイを着けろ」ともいってくる。(そんなことより節電したら。)何をいわれても私は夏場にネクタイを着用しない。何故なら、私は、社長の家来ではなく、労働者だからだ。
こうして、懲りない社長と諦めない労働者によるネクタイを巡る闘いは、まだまだ続くのである。

 2013年8月1日発行 労働情報868号

 友延秀雄(とものぶ ひでお)
ゼネラルユニオン書記次長。大阪全労協青年部長。
学生時代は大学を休学し、キューバでスペイン語を学び、南北アメリカ大陸をオートバイで縦断。中南米諸国の絶望的な貧富の格差と、医療と教育が無料のキューバを目の当たりにし、社会変革の重要性を実感。

労働情報連載エッセイ⑬:私たちの組合旗、完成しました!

 労働情報エッセイ「若者が変える 若者と変える」の第13弾の紹介です。


13沖縄平和行進15

私たちの組合旗、完成しました!

 2009年12月5日、大阪全労協青年部結成。それから約3年半の歳月を経て、この度、ようやく私たちの組合旗が完成しました。

 組合旗と言えば、色は赤、組合名のみが書かれたシンプルなデザイン、もしくは中央に「団結」「連帯」の文字、というのが定番中の定番。しかし、「どうせ作るんなら、ちょっと変わったの作りたいよなぁ」「文字だけじゃなく、イラストが入った旗にしたい」などの意見が出、徳島在住の消しゴムはんこアーティスト・KESHIHAN洞J子さんにデザインをお願いしました。デザインのコンセプトは「どこの支援現場に持って行っても、歓迎される組合旗」。

 昨年、反原発運動として金曜官邸前行動や関電前行動が拡大していく中、現場に組合旗を持参した労働組合が、主催者側から組合旗を降ろすように指示される出来事がありました。私自身も、その現場に居合わせた1人です。大阪の橋下市長が「既得権益」だと組合バッシングを煽り、巨大労組が原発推進を容認していく状況は、労働組合に対する人々の不信感を更に後押ししました。

 しかし、労働組合に支えられ解雇争議を闘ってきた私には、確かな実感がありました。1枚の組合旗の後ろに、反原発を支持する何十、何百、何千の人々の存在があるという事実、旗はその1人1人の象徴であるという実感。その旗が立ち並ぶ時、政治家達は、組織が本気で団結・連帯した時の脅威を目の当たりにするだろうという確信。

 少なくとも、大阪全労協の労働運動は、これまでも、労働問題のみに止まらず、反戦、反基地、反原発運動等とともに存在してきました。そんな思いを込め、旗には「No Nukes」「No Base」「No War」「反貧困」というメッセージを散りばめました。原発問題も基地の問題も、それぞれが独立した問題として存在するのではなく、複合的な要素を抱え、そこには決まって労働問題を内包しています。廃炉になっても続く被爆労働、除染作業員のピンハネ問題など、その現実を受け止め、解決の道を探る時、労働者に寄り添うのは私たち労働組合です。だからこそ、労働組合の存在を堂々と表明し、反原発運動にも、それ以外の運動にもコミットしていくことが重要であるという私たちの覚悟を、この旗に描きました。

 愛らしく、そして躍動的なこの組合旗が、様々な運動を近づけ合うきっかけになることを願い、私たちはこれからもいろんな支援の現場に出かけていきます。

2013年7月15日発行 労働情報867号

大椿裕子(おおつばきゆうこ)
大阪教育合同労働組合副執行委員長。大阪全労協青年部。関西学院大学雇止め解雇事件被解雇者。最近観たオススメ映画は、「きっと、うまくいく」。笑えて泣けて、踊り出したくなるボリウッド映画(インド映画)。「競争による分断と決別する」というテーマは、日本に生きる私たちの心にも響きます。

労働情報連載エッセイ⑫:「沖縄」から見た「大阪」(後編)

労働情報連載エッセイ「若者が変える 若者と変える」の第12弾の紹介です。
5月13日の橋下発言の直後、沖縄を訪れ、沖縄平和行進に参加した仲間のエッセイ、後編です。


『沖縄』から見た『大阪』(後編) 

 南風原(はえばる)文化センターを訪れた翌日の5月19日、この旅のメインである「沖縄平和行進」に参加した。今回、大阪全労協青年部は東京全労協及び全国一般東京労組共催の「沖縄反戦・平和学習&平和行進」に参加し、共に沖縄の地を歩くこととなった。

 コースは南コース(普天間飛行場が見える嘉数高台公園出発)で、普天間基地に沿って歩くコースだった。天候がすぐれないという予報通り、出発式開始の前あたりから雨が降りだし、集会がすすむにつれ雨脚が強くなり、強烈に叩きつけるようになってきた。しかし行進が出発する頃には小雨になり、少しは歩きやすくなっていた。

 この平和行進では、大阪の経験とは違う点が3つあった。一つは、大きな交差点以外に警察官の姿がほとんどないことだ。その他の場所は基本的に主催者側の交通整理員が行進の指揮を行っていたのには驚いた。その他には、沿道から多くの声援があったことと、行進の途中で数十分の休憩を取ったことは、初めての経験だった。そして6km弱のコースを歩き、「5・15平和とくらしを守る県民大会」(以下、県民大会)の集会会場、宜野湾市海浜公園に到着した。

 公園内で昼食を食べていると、また雨足が強まってきた。容赦無く降り注ぐ雨の中、沖縄平和運動センター・山城博治事務局長の熱い司会で県民大会が始まった。しかし雨が強過ぎて、ほとんどの登壇者の発言は割愛され紹介のみとなり、予定を大幅に早めての終了となった。これで「5・15平和行進」の全ての行動は終了となった。

 日常の暮らしに戻った今でも頭から離れないのは、韓国から来られた元「従軍慰安婦」金福童(キムボクトン)さんが語られた過酷な体験と、それを否定する橋下大阪市長などの発言だ。

 私の住んでいる大阪には「米軍基地」は無い。しかし沖縄から移住してきた多くのうちなんちゅ~が暮らしている。私の母方の家系も、母が幼少の頃に沖縄から関西に移り住み、祖父は今、大阪市大正区で叔父達と共に生活している。

 その大正区で友人達が「6・23 慰霊の日企画 イクサユー(戦世)」というイベントを企画している。内容は第1部が戦世についてのドキュメンタリー上映、第2部は比嘉座 座長の短編一人芝居、第3部は20代~50代による戦世についてのディスカッションだそうだ。

 私はそこでぜひ、今回の旅で学んだ事、考えた事を話したいと思う。大阪に住む私が、沖縄に犠牲を押し付けないためには何をするべきかを考えるために。

2013年7月1日発行 労働情報866号

白田伸樹(しらた のぶき)
1979年、大阪府豊中市生まれ。
2012年12月、職場の仲間と共に大阪府理容生活衛生同業組合 労働組合(略称=大理生労組)を結成。同労組は2013年2月に大阪全労協に加盟。同年4月より大阪全労協青年部の学習会担当となり、現在に居たる。

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