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9/19 さようなら原発6万人集会~呼びかけ人の方々の発言~

 9月19日、明治公園に6万人の人たちが結集した、さようなら原発集会。
以下、呼びかけ人の方々の、当日の発言要旨をご紹介します。

 とりわけ、福島から来られた武藤類子さん(ハイロアクション福島原発40年実行委員会)の言葉に、じっくりと目を通していただきたいと思います。


「さようなら原発」への“結節点”と“出発点”となる今集会
――鎌田慧さん(ルポライター)
きょうここに5万人集会を成功させることができました。きょうの集会は“これまでの結節点”であり、原発をなくしていくための“これからの出発点”でもあります。野田首相は国連に出席して原発の安全性を高めていくと演説するとしています。しかし、原発の安全性と信頼性はすでに破綻しています。それでも原発を再開することは国民に敵対する行為です。国民の8割が原発のない社会で生きたいと言っています。この声を無視して政治をできるわけはありません。

これまでどれだけの被爆者が発生しているのか?どれだけの原発労働者が被曝しているのか?これから分かってきます。その恐ろしい結果を私たちはきちんと認識し、その救済を少しでも早く始めていかなければいけません。そういう意味でもきょうの集会を力強く成功させ、救済運動も進めていきましょう。

脱原発運動は多くの人々の意識を変えていく運動でもあります。みなさん、核に依存して生きることは人類は絶対にできないのです。核と人類が共存できないということは、ヒロシマ、ナガサキそして今度のフクシマの原発事故でも証明されています。どうしてこれ以上の犠牲者をつくることができるでしょうか。私たちは原発に「さようなら」を言いましょう。この原発への「さようなら」はまた会いましょうなど再会を期することを含んだものではありません。もう絶対に会いたくないという意味での「さようなら」が原発に対する私たちのメッセージです。もう原発のある社会はいらない。そして、これから子どもたちに平和で幸せな社会を残すためにこそ頑張って行こうではありませんか。これからも様々な
集会やデモに取り組み、1千万署名をひろげましょう。そして来年3月24日に日比谷野外音楽堂で1千万署名の集約集会を開きましょう。



原発は必ず荒廃と犠牲を伴う
――大江健三郎さん(作家)
二つの文章を紹介します。一つは渡辺一夫さんの文章です。

狂気なしでは偉大な事業は成し遂げられないと申す人々もあります。それはウソであります。狂気によってなされた事業は必ず荒廃と犠牲を伴います。真に偉大な事業は狂気にとらえられやすい人間であることを人一倍自覚した人間的な人間によって誠実に地道になされるものです。

この渡辺一夫さんの文章はいま次のように読み直されうるでしょう。

原発の電気エネルギーなしでは偉大な事業は成し遂げられないと申す人々もあります。これはウソであります。原子力によるエネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴います。

二つめの文章は、新聞に載っていたものです。原子力計画をやめていたイタリアがそれを再開するかどうか国民投票を行い、そして反対が9割を占めました。それに対して日本の自民党の幹事長が、「あれだけ大きな事故があったので集団ヒステリー状態になるのは信条としてわかる」と語ったそうです。もともとイタリアで原子力計画が一端停止したのは25年前のことです。チェルノブイリの事故がきっかけでした。それから長く考え続けられた上で、再開するかどうかを国民投票で決めることになった。その段階で福島原発事故が起こったのです。自民党の幹事長は「反原発というのは簡単だが生活をどうするのかということに立ち返ったとき国民投票で6割が原発反対だからやめましょうという簡単な問題では
ない」と締めくくりました。原発の事故が簡単な問題であるはずはありません。福島原発事故による放射性物質で汚染された広大な面積の土地をどのように剥ぎ取るか?どう始末するのか?すでに内部被曝している多くの子どもたちの健康をどう守っていくのか?

いままさにはっきりしていることはこうです。イタリアではもう決して人間の命が原発によって脅かされることはない。しかし、私たち日本はこれからさらに原発の事故を恐れなければならないということです。私たちはそれに抵抗するという意思を持っているということを想像力を持たない政党の幹部とか経団連の実力者たちに思い知らせる必要があります。そのために私たちに何ができるのか。原発を推進する勢力に対抗するには集会やデモしかありません。しっかりやっていきましょう。



「新しい原発安全神話」は許さない
――内橋克人さん(経済評論家)
注意しなければならないことがあります。それは「新しい原発安全神話」、「原発安全神話の改訂版」、「新版」、これが台頭しつつあるということです。つまり、「技術が発展すれば安全な原発は可能である」とする安全神話の改訂版が新たな装いを凝らして台頭しつつある点に注意をしなければなりません。

たとえば、地下深く原発を埋め込んで洞窟の中で原発を続けるというような計画などが企まれているということであります。地下の洞窟の穴に原発エネルギーをつくる装置を埋めてなおかつ原発を持ち続けたいというこの意図の裏には何があるのでしょうか?それは、私たちの国が「核武装」、「核兵器で再武装」することが可能となる潜在力を持ち続けたいとする政治的意図だと思います。合意なき国策がここまで進んできました。幾度も幾度も打ちひしがれた経験を私たちは生かさなければいけません。原発エネルギーではなくて命のエネルギーが輝く国にしようではありませんか。きょうその一歩が踏み出されます。「さようなら原発」、「こんにちは命輝く国」。世界を変える一歩一歩を歩き続けましょう。



放射性廃棄物の処理能力も持たない人間が原発を持つことの罪
――落合恵子さん(作家)
私はビートルズ世代で、ジョン・レノンのイマジンもよく聴いています。

想像してください。子どもはどの国のどの社会に生まれか選ぶことはできないのです。そして生まれてきた国に原発があってこの暴走があったことがいまの私たちの社会です。

想像してください。フクシマのそれぞれの子どもたちの今を。そしてこの国のそれぞれの子どもたちの今を想像してください。

スリーマイル島、チェルノブイリ、そしてフクシマ。あの原発大国フランスでもついこの間核施設の事故があり、ほとんどの情報を私たちが手に入れられない現実を生きています。今度はどこで、次は誰が犠牲になるのかとそのストレスを絶え間なく抱いて生きていくのはもういやだ。私たちはそれぞれ叫んでいきたいと思っています。

放射性廃棄物の処理能力も持たない人間が原発を持つことの罪深さを私たちは叫んでいきましょう。それは、命への、それぞれの自分自身を生きて行こうという人への国家の犯罪なのです。容易に核兵器に変わるものを持つことを、恒久の平和を約束した憲法を持つ国に生きる私たちは決して許容してはならないはずです。

想像してください。まだひらがなしか知らない小さな子どもが夜中に突然起きて「放射能来ないで」って泣き叫ぶような社会をこれ以上続けさせてはいけないはずです。私たちはこの犯罪に加担せず、暴力に対して私たちは非暴力を貫き、世界から原発と核が消える私たちのゴールに向かって歩みましょう。私たちは、あきらめません。慣れません。忘れません。歩き続けます。

国家公務員一般労働組合ブログ「すくらむ」より)



――武藤類子さん(ハイロアクション福島原発40年実行委員会)
みなさん、こんにちは。
福島から参りました。
今日は福島県内から、それから避難先から
何台もバスを連ねてたくさんの仲間と一緒にやって参りました。
初めて集会やデモに参加する人もたくさんいます。
それでも
「福島原発で起きた悲しみを伝えよう」
「わたしたちこそが原発いらないの声をあげよう」と
声を掛け合い、誘い合ってやって来ました。

はじめに申し上げたいことがあります。
3.11からの大変な毎日を
命を守るためにあらゆることに取り組んできた
みなさん、ひとりひとりに
ひとりひとりを深く尊敬いたします。

それから
福島県民にあたたかい手を差し伸べ、つながり
様々な支援をしてくださった方々にお礼を申し上げます。
ありがとうございます。

そして、この事故によって
大きな荷物を背負わせることになってしまった
こどもたち、若い人々に
このような現実を作ってしまった世代として
心から謝りたいと思います。
本当にごめんなさい。

さて、みなさん。
福島はとても美しいところです。
東に紺碧の太平洋を臨む浜通り。
桃、梨、りんごと、果物の宝庫の中通り。
猪苗代湖と磐梯山のまわりに黄金色の稲穂がたれる会津平野。
そのむこうを深い山々が縁取っています。
山は碧く、水は清らかな、わたしたちのふるさとです。

3.11 原発事故を境に
その風景に目には見えない放射能が降り注ぎ
わたしたちは被曝者となりました。

大混乱の中で、わたしたちには様々なことが起こりました。
素早く張り巡らされた安全キャンペーンと不安の狭間で
引き裂かれていく人と人とのつながり。

地域で、職場で、学校で、家庭の中で
どれだけの人が悩み、悲しんだことでしょう。

毎日、毎日、否応無く迫られる決断。
逃げる、逃げない。
食べる、食べない。
こどもにマスクをさせる、させない。
洗濯物を外に干す、干さない。
畑を耕す、耕さない。
何かにもの申す、黙る。
様々な苦渋の選択がありました。

そして今
半年という月日の中で次第に鮮明になってきたことは
事実は隠されるのだ。
国は国民を守らないのだ。
事故は未だに終わらないのだ。
福島県民は核の実験材料にされるのだ。
莫大な放射能のゴミは残るのだ。
大きな犠牲の上になお原発を推進しようとする勢力があるのだ。
わたしたちは捨てられたのだ。

わたしたちは、疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。
でも、口をついてくることばは
「わたしたちを馬鹿にするな」
「わたしたちの命を奪うな」です。

福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。
子どもたちを守ろうと母親が父親が、おじいちゃんがおばあちゃんが。
自分たちの未来を奪われまいと若い世代が。
大量の被曝に曝されながら事故処理に携わる原発従事者を助けようと
労働者たちが。
土地を汚された絶望の中から農民が。
放射能による新たな差別と分断を生むまいと、障害を持った人々が。

ひとりひとりの市民が、国と東電の責任を問い続けています。
そして「原発はもういらない」と声をあげています。
わたしたちは静かに怒りを燃やす、東北の鬼です。

わたしたち福島県民は
故郷を離れる者も、福島の土地にとどまり生きる者も
苦悩と責任と希望を分かち合い、支え合って生きて行こうと思っています。

わたしたちとつながってください。
わたしたちが起こしているアクションに注目をしてください。

政府交渉、疎開、裁判、避難、保養、除染、測定、
原発・放射能についての学び。
そしてどこにでも出かけ、福島を語ります。
今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。
思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。

わたしたちを助けてください。
どうか、福島を忘れないでください。

もうひとつ、お話ししたいことがあります。
それは、わたしたち自身の生き方、暮らし方です。

わたしたちは
何気なく差し込むコンセントの向こう側を想像しなければなりません。
便利さや発展が、差別や犠牲の上に成り立っていることに
思いを馳せなければなりません。
原発はその向こうにあるのです。

人類は地球に生きる、ただ一種類の生き物に過ぎません。
自らの種族の未来を奪う生き物が、他にいるでしょうか。

わたしはこの地球という美しい星と調和した
まっとうな生き物として生きたいです。
ささやかでも、エネルギーを大事に使い
工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。

どうしたら、原発と対局にある新しい世界を作っていけるのか
誰にも明確な答えは分かりません。

できうることは
誰かが決めたことに従うのではなく
ひとりひとりが、本当に本当に本気で自分の頭で考え
確かに目を見開き
自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。

ひとりひとりにその力があることを思い出しましょう。
わたしたちは誰でも変わる勇気を持っています。
奪われてきた自信を取り戻しましょう。

原発をなお進めようとする力が垂直にそびえる壁ならば
限りなく横に広がりつながり続けていくことがわたしたちの力です。

たったいま隣にいる人とそっと手をつないでみてください。
見つめ合い、お互いの辛さを聞き合いましょう。
涙と怒りを許し合いましょう。
いまつないでいるその手のぬくもりを
日本中に、世界中に広げていきましょう。

わたしたちひとりひとりの背負っていかなければならない荷物が
途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても
目をそらさずに支え合い
軽やかに、朗らかに生き延びていきましょう。

風のたよりーいわき市議会議委員 佐藤かずよし氏ブログより)

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