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橋下分析/橋下知事の問題点を突く④国家(行政)と教育-教育への政治介入の愚かしさ

国家(行政)と教育-教育への政治介入の愚かしさ  

 「君が代起立」条例につづいて、橋下知事率いる大阪維新の会は、9月府議会に「教育基本条例案」と「職員基本条例案」を提案する。その素案が公表された。成案になった段階で全面的な検討を加えるとして、素案の基本的姿勢である「政治が教育に介入する」ことの問題点を見ておく。

 国家が国民育成のために「国民教育」を行うことは、上記③で述べた通りである。

 「19世紀から20世紀にかけての学問論および学問の体系は、国家を形成するという課題にそって集中的につくりあげられてきた」(濱下武志)のであり、「現在の社会科学が、1国に基礎をおく、国家の政策に役立つ学問となった」(ウォーラーステイン)のである。国民育成のための教育は義務教育となるのである。

 ところで、学問は国家から自立していなければならない。なぜなら学問は、真理の探究であり、時として国家と対立するからである。また、国家(国民国家)は歴史的なものであることから、国家(国民国家)に代わる「共同体」や「政治単位」が登場することになり、「国学」とは異なる学問が発展することが考えられる。それは国家を否定する学問や学問体系である。

 学問の自由とは、国家からの自由を意味する。ヨーロッパでは、国家(国民国家)が建設される前から大学が存在していた故に、学問の自由が国家からの自由を意味することはわかりやすい。

 国家といえども、学問の自由を制約することはできない。

 ましてや、時の政府が学問の自由を侵害することなどは論外である。このことは、日本における教育委員会制度発足の歴史的経緯から明らかである。すなわち、戦前の政府(及び任命制知事)が、「教育勅語」を基本にした「皇民化教育」によって子どもたちから科学的思考を遠ざけ、愛国心を植え付け侵略戦争に追いやった反省から、戦後教育は首長から独立して教育施策を担当する教育委員会が設けられ、教育委員は公選制となったのであった。  

 いま、橋下知事と大阪維新の会がやろうとしているのは、時の政府による教育への介入である。橋下知事は、「選挙で選ばれた首長が教育に関与する」ことが民意の反映であるという。しかし、橋下知事と大阪維新の会所属議員が選挙で選ばれたとしても、彼らは「君が代起立条例」や「教育基本条例を」をつくるというマニフェストを出していなかったのであるから、今回の条例制定が民意の反映とは言えない。ましてや、教育への政治介入政策を実行するなどということは、全く民意を反映したものではない。

 次に、橋下知事、大阪維新の会所属議員は選挙で選ばれたというが、有権者の過半数から支持されたわけではない。橋下知事が選ばれた知事選挙は投票率が48.95%に過ぎず、橋下知事の得票数は有権者の1/4程度であった。大阪維新の会所属議員も有権者の過半数を得票したものではない。この程度の得票で、「民意」を反映するとは、傲慢も甚だしい。もっとも、橋下知事は民意とコンセンサスは意味が違うことぐらいはご存じだろうが。

 さらに言えば、仮に民意があったとしても、時の政府や首長が教育に介入してはならないのである。例えば、2005年アメリカのカンザス州では選挙で選ばれた委員が、神が人間を創ったとする「天地創造説」を、それまでのダーウィン進化論に代えて教える決定を行った。これなど選挙による民意の反映であろうが、民意によって真理や科学は追放される結果となっている。その後、カンザス州は進化論教科書に戻ったというが、翻弄されたのは学問と子どもたちである。真理や科学が否定されることは許されない。

 今、橋下知事が政治介入してやろうとする教育は、「愛国心と郷土を愛する心」(教育基本条例案)を育てるものであり、「教育は2万パーセント強制です」(橋下twitter)というものである。どこに学問の自由が保障されているのか。橋下知事による教育への政治介入は、人類と社会の進歩を冒涜するものである。

大阪教育合同労働組合HPより)

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