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橋下分析/橋下知事の問題点を突く③郷土愛と愛国心-まやかしの地域主権

郷土愛と愛国心-まやかしの地域主権 

 「君が代起立条例」第一条は目的として、下記の通り定めた。


 「この条例は、・・・府民、とりわけ次代を担う子どもが伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する意識の高揚に資するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと並びに府立学校及び府内の市町村立学校における服務規律の厳格化を図ることを目的とする。」  ここでは、「我が国と郷土を愛する意識」、つまり愛国心と郷土愛が同列に置かれている。 


 しかしいうまでもなく、愛国心と郷土愛は別物である。愛国心は国民国家が登場してその領内の住民を国民として育成するためのイデオロギーであるのに対して、郷土愛は住民が生まれ育ったあるいは現に住んでいる地域を愛する感情の発露である。もちろん住民が生まれ故郷を愛するか、現住所の地域を愛するか、はたまたどの地域も愛さないかは個人の感情によるところである。

 愛国心は国民国家によって創られたイデオロギーであり、住民を国民につくり上げていくための思想である。国民国家が歴史的にヨーロッパに登場したのは15世紀以降であるが、資本主義の発展にともなって登場したものである。国民国家はそれまでに存在した「都市国家」や「帝国」に取って代わったのである。

 「資本主義経済からの安定した税収入で暴力独占が容易になったため、国民国家は帝国や都市国家に勝った」(チャールズ・ティリー)のであり、「産業資本主義が中央集権的国家をもとめた」(アーネスト・ゲルナー)。

 従って、国家は住民を統合するためにイデオロギーとしてのナショナリズムを必要とする。また、国民国家が登場したのが歴史的には新しく、その意味では絶対的なものではないのであるが、歴史の早いうちから存在したかのようにみせるために、歴史は書き換えられる。「国家が先にあって、ナショナリズムがつくられ」「伝統の創造」(ホブズボウム)が行われていくのである。このナショナリズムの極論が愛国心なのである。

 愛国心が戦争と結びつきやすいのは、「戦争が国家をつくり、国家が戦争をつくる」(チャールズ・ティリー)からに他ならない。住民を国民につくり上げていくために、国民教育が行われるが、国民を統合するための手っ取り早い道具として国旗や国歌がつくられる。だから、「日の丸」は常に戦争の最前線に掲げられ、国民をまとめるために「君が代」が歌われる。

 愛国心と国旗・国歌・国民教育との関係に対応するような、郷土愛に関係する「旗」「歌」「教育」は存在しない。それは、国民国家の創造過程で、地域(リージョン)が統合されたからである。しかし、統合は吸収ではないから、地域(リージョン)は消滅しておらず、住民の一番身近な共同体として存在している。住民の帰属意識(アイデンティティ)は、国民国家あるいはナショナリズムに統一されてはおらず、地域(リージョン)あるいは郷土愛がいまでも帰属意識(アイデンティティ)の上位にあることは国家も認めざるを得ない。

 次の例は、人々のアイデンティティが国民国家やナショナリズムに統一されないことを物語る。

  「イボ族は・・ナイジェリアの東部だった地域ではオワリ・イボとかオニチャ・イボと区別されるかもしれない。だが首都ラゴスに行けば、彼はイボ族にすぎない。ロンドンではナイジェリア人と言われる。ニューヨークではアフリカ人と言われる」(Donald L. Horowitz. Ethnic Conflict Management for Policy Makers” in サミュエル・ハンチントン「文明の衝突」94頁)。

 「1990-91年及び1995-97年にヨーロッパで実施された世界価値調査からピッパ・ノリスは人々の帰属意識を次のように分析した。15%はヨーロッパ(あるいは世界)であり、38%は国(あるいは民族)であり、47%は地域(リージョン)であると思っている」(Manuel Castells, The Power of Identity, p.335)。

 国家は、その脆弱な基盤を補強するために、常に地域(リージョン)を利用する。郷土愛と愛国心を同一のものであるかのように宣伝するのもその一つである。そしてできる限り、国家と住民との間に存在する中間物を排除しようとする。その強力な中間物の一つが地域(リージョン)なのである。

 ナチズムの場合はどうか。

 「国民社会主義(ナチズム)の社会組織化の第一原理は、多元的原理を一元的、全体的、権力主義的組織にとってかわることである。」「第二の原理は個人のアトム化である。」「社会の自然的構造は分解され、抽象的な『民族共同体』にとってかわられる」(フランツ・ノイマン著「ビヒモス」344頁)。

 ナチズムは、個人を社会的集団から切り離し、一人一人をばらばらにして、国家に直接帰属させようとした。若者たちは直接にヒトラー・ユーゲントに組織された。その代わりに国家と国民の間にある中間物は取り除かれた。そのなかには労働組合があり、教会があった。

 橋下知事の「君が代起立」条例は、郷土愛と愛国心を混同させる意識を高揚させるのであるが、その底流には多元的原理の否定、一元的・全体的組織化原理の危険性が潜んでいる。

 橋下知事の唱える「地域主権」は、「国家主権」の補完物でしかなく、「地方分権」ですらないのである。また橋下知事は「道州制」にも関心があるようだが、中央集権国家の地方機関を強化することにしかならないことは明らかだ。それが今回の「君が代起立」条例制定から見えてきたことだ。

大阪教育合同労働組合HPより)

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