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橋下分析/橋下知事の問題点を突く②道徳律と法律-「君が代起立斉唱」はルールたりえない

道徳律と法律-「君が代起立斉唱」はルールたりえない 

 橋下知事は、「君が代」は起立して歌うのがルールだといい、ルールに従うべきだという。  

 しかし、この「ルール」の定義は微妙である。橋下知事はインタビューに答えて次のように言う。「学習指導要領で日の丸・君が代は『国旗・国歌だときちんと教えましょうとなっている。教育委員会が儀礼の所作として起立斉唱をやっていきましょうと決めたのに、不起立でもって自分の歴史観を子どもたちに伝えるのは言語道断。歴史観は一定のルールのもと、授業で教えればいい。」(朝日新聞2011年6月28日)。橋下知事の認識通り、起立斉唱は、教育委員会が決めた指示にすぎない。政府・文部科学省は、起立斉唱をルールにはしていない。  

 文科省が告示する学習指導要領は、卒業式等における「国旗・国歌」の扱いは次の通りである。

 「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」

 そして、国旗掲揚や国歌斉唱指導について文科省は具体的方法を示していない。このことについて、文科省は次のように説明している。

 「国旗・国歌条項も含めて学習指導要領は大綱的基準を決めたもので、学校設置者の判断で適切に行うもの。具体的実施方法は明示していないので、地域によって差がある。」

 以上の通り、国歌の起立斉唱をルールにしたものはどこにもない。「教育委員会が決めた」ことをもってルールというのであれば、それは大きな間違いである。このことはすでに上記「1.「教員は自由業ではない」-その主張にナチズムの影」で明らかにした。

 つまり、橋下知事はどこでも決まっていないルールを持ち出してきて、これが守られていないという虚構を組み立てた上で、府条例という公的権力で「起立斉唱」というルールをつくったのである。

 では、「起立条例」はルールとなったのか。確かに、府条例であるから法律ではないが、広く法令に含まれる。その意味で、罰則はなくても住民に規範を示して、これを守れという類いのものとなっている。

 しかし、「国旗・国歌」や「君が代起立斉唱」といった住民の間で価値観の相違がある事柄について、法定化することが可能あるいは望ましいことなのか。この問題についてナチズムがどう対処したか、フランツ・ノイマンはその著書「ビヒモス」で次のように解説している。


 一般的法律もまた倫理的機能を持つ。非常に逆説的なことではあるが、この倫理的機能は、適法性を道徳性からきびしく分離することにある。世上一般の人は、この分離を非難されるべきものとして、法律と道徳との相互浸透を理想として考えるであろう。それにもかかわらず、法律が社会調整の用具たることを可能にしているものは、まさしくこの分離にほかならない。

 法律と道徳律の一致は、完全に同質的な社会においてのみ、たとえば、普遍的に承認されている価値体系によって支配されている宗教的集団において、維持されうる。 その場合には、法律は外的な行為だけでなく内的な信念をも規制しうる。

 国民社会主義(ナチズム)は、法律の一般性を完全に破壊し、司法部の独立性と遡及性の禁止を打破する。

 法律は総統の命令にほかならない      
              (377頁~379頁)
 

 ナチズムは、道徳的信念が衝突している社会において、道徳と法律を同一なものとすることで、価値観の相違を解消しようとしたのである。つまり、同じ価値観を持つ国民にまとめ上げていくのである。

 橋下知事が「君が代は起立して歌うものだ」との価値観を持っているとして、そのことを法律で住民に押しつけ従わせることは、ナチズムが行った手法である。

  民主主義は法律と道徳律の分離を求めている。「思想及び良心の自由」(日本国憲法19条)は、法律によっても侵してはならないのである。

大阪教育合同労働組合HPより)

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