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学習会開催~日本労働運動が沖縄に関わる視点~

 大阪全労協青年部は毎年5月に行われる沖縄平和行進に参加しています。
今年は、そのプレ・イベントとして、3月14日に沖縄の基地問題についての学習会を開催しました。少し遅くになりましたが、学習会の様子を報告します。

沖縄学習会1

 講師は大阪教育合同労働組合、副執行委員長・大阪全労協副議長の山下恒生さんにお願いし、「日本労働運動が沖縄に関わる視点」と題してお話いただきました。

 山下さんは1971年初めに沖縄に渡り、1973年末までの3年近くの間、反基地運動にかかわったそうです。沖縄が再び日本の領土に編入されたのは1972年5月15日ですから、ちょうど、その転換期を身をもって体験されたことになります。山下さん自身、その体験を話すのは40年ぶり、ということで、自然にその話にも熱が入っているのが感じとれました。

沖縄学習会2

 山下さんは沖縄をめぐる闘争のあり方は、歌に象徴的に現れていると言います。この歌は、沖縄で作られた歌です。

①「一坪たりとも渡すまい」(作詞:佐久川 末子)
1 東シナ海前にして わしらが生きた土地がある
  この土地こそわしらが命 祖先譲りの宝物

2 われらはもはや騙されぬ 老いた固き手の平は
  野良の仕事の傷の跡 一坪たりとも渡すまい

3 黒い殺人機が今日も ベトナムの友を撃ちに行く
  世界を結ぶこの空を 再び戦でけがすまい


 もう一方は、日本「本土」で作られた沖縄への連帯の歌です。

②「沖縄を返せ」(作詞:全司法福岡高裁支部)  
 固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ
 我等と我等の祖先が血と汗もて 守り育てた 沖縄よ
 我等は叫ぶ沖縄よ 我等のものだ沖縄は
 沖縄を返せ (返せ) 沖縄を返せ

 ①の作詞者である佐久川末子という人は、この歌が作られた1968年当時、18歳だったそうです。少女にさえ、このように言わせるほど「銃剣とブルドーザー」による米軍基地の建設は許せないものであったのです。しかもその基地からは「黒い殺人機」が世界中の戦場に飛び立ち、リアルタイムでは「ベトナムの友」を殺していたのです。アメリカの戦争に荷担させられている、という状況のもとで、沖縄の人々は「本土並み」の「平和」を求めて、日本への「復帰」を目指したのでした。

 それに対して、②は、「沖縄は日本のものだ」というのが当然、という前提で作られています。歴史的に見ると、沖縄は沖縄でしかないのですが、ここでは「沖縄を返せ」と歌われているのです。沖縄をめぐって、①の歌と②の歌のズレはどうして生まれるのでしょうか。


 次に、このように周辺の国に振り回される沖縄について、山下さんは、沖縄の位置と歴史について解説してくれました。

沖縄

 沖縄の位置は、海上貿易するのに地の利があります。そのため、中世以降は、東南アジア・中国・日本の間の中継貿易で栄えました。そして、独自の文化圏を形成していました。ところが、近代になり、日本で近代国家が作られ始めると、沖縄は逆にその中心(首都東京)から離れている国境と位置づけられるようになります。国境の町は、周辺の国家に編入されやすい、という運命にあると言います。沖縄もその一つなのです。

 
 続いて、沖縄の歴史について話されました。沖縄は以下の歴史をたどります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
15世紀~ 琉球王国(尚氏王朝)
 1609年  薩摩藩の侵攻
1872年  琉球藩設置
1879年  沖縄県設置・・・・第1次琉球処分
1945年  アメリカ軍政開始
 (1949年 共産党の毛沢東が中華人民共和国を建国。親米の蔣介石は台湾に敗走)
 (1950年 朝鮮戦争開始)
 1952年4月28日  サンフランシスコ条約・・・・第2次琉球処分
 1972年      本土「復帰」・・・・第3次琉球処分
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 1879年の第1次琉球処分とは、琉球藩が廃されて沖縄県が設置されたことにより、沖縄が完全に日本という国に編入されたことを言います。

 1952年の第2次琉球処分とは、第1次琉球処分で沖縄は日本の一部とされながら、この時には、その日本の「本土」のみが主権を回復し、沖縄は米軍の占領下に放置されたことを言います。太平洋戦争中、沖縄が日本であった時には、その日本で唯一地上戦が行われたのは沖縄でした。これから沖縄はあらたに、アメリカという国に翻弄される運命をたどることになります。

 ちなみに、沖縄に米軍基地が集中的に建設されるようになったのは、1950年代だそうです。これには中国と朝鮮半島の情勢が関係しているようです。1949年には、中国で内戦が終結します。ソ連が支援する中国共産党の毛沢東が、親米の国民党蔣介石を破り、中国を統一します。蔣介石は台湾に逃れます。もし、蔣介石が中国に居座ることができれば、アメリカは中国本土に米軍基地を作ればいいわけですから、沖縄に基地を作る必要性は薄れます。しかし、そうならなかった。

 そして、1950年の朝鮮戦争です。これまたソ連が支援する北朝鮮とアメリカが支援する韓国との戦争勃発により、アメリカは日本をそのソ連の脅威からの防波堤と位置づけたのです。

 アメリカが沖縄を手放さなかった理由はここにあります。

 1972年の第3次琉球処分は、ふたたび沖縄が日本に再編入されたのですが、それは米軍基地の負担と引き替えのものだったことを言います。日本の本土では「憲法九条を守れ」「憲法九条は日本の宝」と言われますが、沖縄の立場からすると、沖縄には憲法九条は適用されていません。米軍による事故、米兵による犯罪も相次いで起こっています。

 山下さんは、「沖縄の犠牲によって、本土の人は憲法九条をありがたがることができている。それなのに、沖縄の米軍基地の問題を真っ先に解決しようとしないで、憲法九条を守れ、と言うのはおかしい」と力説していました。これは、学校で「平和憲法」「憲法九条」の「すばらしさ」を教育されてきた私たち青年部のような世代にとっては「目からウロコ」でした。

 最後に山下さんは、沖縄の基地問題から労働運動に転身してその道一筋で生きてきた自身の自分史とも重ね合わせながら、両者の接点は「利他」ではないか、と強調されていました。先の①の歌では、沖縄の米軍基地から飛び立つ戦闘機によって攻撃される側への共感が唄われています。同じように、労働運動も、本来、非正規問題など当事者への共感がなければならない、と言うのです。

 非正規問題に当事者としても取り組んでいる私たち青年部にとって、元気をもらえた学習会でした。


《参加者の感想》

 全く知識のない私にとっては、とても難しくて社会科の勉強をしているようだった。労働運動と基地問題のつながりが、十分に理解できなかった。沖縄に労働運動が根付くには、日本(本土)にはない難しさがあることは理解できた。(なっちゃん)


 今回の学習会で沖縄が実際の距離以上に近く感じました。わずか40年ほど前にパスポートがなければ行けない「異国」だったのが信じられないほどです。(ちなみに私は当時3才でした。)
 憲法9条が守られているのは米軍基地が存在することが前提であるのに、基地撤退を求める矛盾を改めて感じました。残念ながら戦後、日本の平和は米軍によってもたらされている事実を認めざるを得ない。
 また、基地で働く人々がそれによって生計を立てている現実があり、労働組合が基地撤退を求めることにより、その労働者の職を奪ってしまうこともありうるジレンマも拭えません。
 これまで多くの沖縄の人々に背負わせた「平和のための荷」を、何時しか私たちがその荷を負えるよう行動していかなければならないと感じましたし、われわれ青年部がその先頭に立とう!ではありませんか。
 このたび講師を務めてくださった山下さんに深く感謝いたします。 (がんちゃん)

 
 「沖縄基地問題に取り組まずして、憲法9条を語るなかれ」
との思いを強くした。(大阪全労協青年部 友延秀雄)


 私が育ったうちなんちゅ~社会では、アメリカぬ世からやまとぅぬ世になった1972年5月15日(沖縄が日本に再編入された日)より、やまとぅぬ世からアメリカぬ世となった1952年4月28日(沖縄が日本から切り離された日)の意味を問う方が大事だという事を教えられてきました。その事を、やまとんちゅ~である山下さんが話をされていた事が新鮮でした。
 うちなんちゅ~の母と、やまとんちゅ~の父の間に生まれた私は、昔からどのように沖縄に関わっていけばよいかをいつも自問自答してきました。今回、大阪全労協青年部から沖縄平和行進に参加させてもらえる機会を与えて頂いたので、その問いの続きををうちな~でしてきたいと思っています。みなさん、にふぇ~で~びる (No武器)

沖縄学習会3

 青年部で、沖縄平和行進参加の言い出しっぺはこの私。沖縄の歴史も、平和行進の運動も、なぁ~んにも知りませんでしたが、参加した人はみな、「行って良かった」と言うので、とりあえず、行ってみたいわぁ~という単純な私でしたが、今回、学習会で体系的に沖縄の歴史を知ることができ、少しは賢くなれた気分。歴史に止まらず、労働組合が平和運動をすることの意味をじっくり考えることができた学習会でもあり、有意義でした。「9条を守れ!」のスローガンが、いかにお気楽だったのか…を知ることができたことが、一番よかったかも。来年は、沖縄に9条を! のスローガンで沖縄の土地を歩きましょう! 
 そして、学習会のあとの沖縄料理交流会、サイコーでした。(エリー)


 沖縄に住んでいた頃の若い山下さんの写真を見せてもらいました。
そのひとつ、沖縄返還前に開催された、「沖縄返還協定反対集会」の写真がとても印象的でした。司会をしている山下さんの後ろに飾られている垂れ幕には、「尖閣列島略奪阻止」と書かれています。どこからの略奪を阻止するのでしょうか?答えは日本です。
 この間、尖閣列島の領有権問題、オスプレイ、普天間基地移設問題の展開に、私は強烈な違和感を感じ続けていました。そこに住む沖縄の人たちの思いが無視しされ、そこに住まない者が全てを決めていく傲慢さに怒りを感じていました。
 今でこそ、尖閣列島は「日本のものだ」「いや、中国のものだ」「いやいや、台湾の領土だよ」と言われますが、国境・海域という概念が存在していなかった頃には、その地域で互いに通じる独自の言語を持ち、ルールを持ち、貿易を行っていたという話も印象的でした。
 一枚の写真から、「その地域の問題は、その地域の人々が決める」という山下さんの一貫した思いを感じ取ることが出来ました。 (つばき)

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